女風の口コミ問題 | 他のユーザーとの比較と確認行動

女風の口コミ問題 | 他のユーザーとの比較と確認行動

帰りの電車の中で、もうスマホを開いていた。

さっきまで施術を受けていたのに、ホームに着いて電車に乗った瞬間、指が勝手に動いている。

女風の口コミが載っているサイトを開いて、さっき会ったセラピストさんの名前を検索している自分がいた。

何がしたいんだろう。体験はもう終わったのに。

帰り道の余韻に浸るとか、今日のことをゆっくり反芻するとか、そういうのを想像していた。

実際は違った。電車の揺れの中で、他の人がこのセラピストさんをどう感じたのかを確かめたくてたまらなくなっている。

女風の口コミを利用後に読み漁ってしまう。そんな自分を見つけた夜の話を書いておく。

目次

帰ってきたのに、スマホが手放せない

帰ってきたのに、スマホが手放せない

家に着いて、シャワーを浴びて、パジャマに着替えた。

ここまでは普通だ。ここまでは。

髪を乾かしながらスマホを手に取って、また口コミサイトを開いてしまった。さっき電車の中で読んだのとは別のサイトを今度は探して。

セラピストさんの名前で検索。口コミが数件出てくる。利用したお客さんが書いた感想。

1件目を読む。「とても丁寧で安心できました」

ほっとする。私もそう思った。同じ感想だ。

2件目。「リードが上手で、自然に身を任せられました」

うん、わかる。でも私はうまく身を任せられなかった気がする。ちょっと胸が痛い。

3件目。「2回目でしたが、前回よりさらによかったです」

2回目。この人はリピートしている。私はまだ1回目が終わったばかりなのに。

ドライヤーを止めた。鏡に映った自分の顔が、さっきの帰り道より曇っている気がした。

安心材料を探しているはずだった

口コミを読み始めた動機は、たぶん「安心したかった」だと思う。

自分の体験が「普通」だったのかどうか、確かめたかった。

初めての女風は緊張した。嬉しかった部分もあった。でも、途中でぎこちなくなった瞬間もあったし、終わった直後は「これでよかったのかな」って気持ちが強かった。

映画を見たあとにレビューサイトを読むのと同じだと思っていた。自分の感想と他人の感想を照らし合わせて、「ああ、そうだよね」って納得したかっただけ。

でも口コミを読めば読むほど、安心じゃなくて不安が増えていく。

他の人は「最高だった」と書いている。私は「よかったけど、なんか不安」のままでいる。この差は何なのか。私の受け取り方がおかしいのか。それとも、1回目なんてそんなものなのか。

答えが出ないまま、4件目の口コミをタップしている。

安心したくて口コミを開く、でも逆効果

安心したくて口コミを開く、でも逆効果

布団に入ってからも口コミ巡回は止まらなかった。

口コミサイトだけじゃなくて、Xでもセラピストさんの名前を検索し始めた。

利用者の感想ツイートを探して。鍵垢じゃないユーザーさんの投稿を片っ端から読んでいく。

ふと、この行動って匂わせ投稿を深夜に追いかけてしまったあの夜と同じ構造だと気づいた。

あのときは「この投稿は私に向けて書いてるのか」が気になって止まらなかった。今は「他の人はどう感じたのか」が気になって止まらない。見ているものは違うけど、深夜にスマホを手放せない自分は同じだ。

口コミのつもりがラブレターになっている人たち

読み進めていくうちに、口コミの「温度差」が気になり始めた。

「丁寧で安心しました」くらいの感想なら、まだわかる。私が思う口コミって、本来はそういうものだ。

そのセラピストさんの評価を上げるためとか、これから利用を考えている人の参考になるように書くもの。

でも中には、明らかに温度がおかしいものがある。

ある口コミは、施術の流れを時系列で細かく書いていた。

「最初に〇〇してくれて、そのあと〇〇になって、それから〇〇して」みたいに。

何をされたかが事細かく並んでいる。読みながら、え、ここまで書くの、と手が止まった。

別の口コミは、もう完全にラブレターだった。「あなたに出会えて私の人生が変わりました」から始まって、施術中に感じた気持ちが情緒たっぷりに綴られている。

長い。すごく長い。読み終わったときに、私は何を読まされたんだろうという気持ちになった。

さらに別の口コミは、もはや官能小説だった。

言葉の選び方が完全にそっちに寄っていて、セラピストさんの仕草や触れ方への描写がものすごく生々しい。これを公開の場に書くのか。書けるのか。

「よかったです」の3文字で終わる口コミと、原稿用紙何枚分なの?と聞きたくなるような口コミが、同じページに並んでいる。

この人たちは、どういう気持ちでこれを書いてるんだろう。セラピストさんへの感謝? 自分の体験の記録? それとも、誰かに読んでほしくて書いてる?

わからない。でも、読んでしまった私の心臓はばくばくしている。

自分がさっき受けた施術が、急に薄っぺらく感じられた。

「たくさんキスしてくれた」を読んだ瞬間に胸が冷たくなった

「たくさんキスしてくれた」を読んだ瞬間に胸が冷たくなった

口コミを巡回し続けていたら、ある一文に目が釘付けになった。

「たくさんキスしてくれて嬉しかった」

それだけの文章だった。前後の文脈は覚えていない。でも、その一文だけがやけにくっきり残った。

たくさんキスしてくれた。

私のときは、どうだっただろう。思い返す。キスは、あったと思う。

でも「たくさん」ではなかった気がする。少なくとも、帰り道に「たくさんキスしてくれた」なんて感想は浮かばなかった。

ほとんどされてなかったかもしれない。

あれ。

もしかして私、塩対応されてた?

そう思った瞬間、胃のあたりが冷たくなった。

いやいや、口コミなんて主観でしょ。

「たくさん」の定義だって人によって違う。キスの回数を数えていたわけでもないし、施術の流れによっても変わるだろうし。

頭ではそう思っている。でも感情がついてこない。

「この人にはたくさんキスしたのに、私にはしなかったの?」

その問いが頭の中をぐるぐるする。違う、そういう話じゃない。セラピストさんはプロだし、お客さんに合わせてくれているんだと思う。私が緊張していたから控えめにしてくれた可能性だってある。

でも、口コミの一文がそんな冷静な分析を許してくれない。

「お泊まりで朝まで一緒に」を読んで、自分の120分が惨めに見えた

さらに読み進めてしまった。やめればいいのに。

「お泊まりコースで朝まで一緒に過ごせました。長い時間をかけてゆっくり向き合ってくれて、夜中に二人で笑い合えた時間が宝物です」

お泊まり。朝まで。

私は120分だった。

120分って、短いのかな。いや、初めてだから120分にしたのは正しい判断だったと思う。

でもこの口コミを読んだ今、120分がやけに短く感じる。

180分の人もいれば、お泊まりの人もいる。時間が長ければ長いほど、セラピストさんとの距離は縮まるのだろうか。ゆっくり過ごせる分、施術も丁寧になるのだろうか。

「120分のお客さん」と「お泊まりのお客さん」で、セラピストさんの対応って変わるんだろうか。

考えたくないけど、考えてしまう。

お金の話もちらつく。120分と比べたら、お泊まりコースの料金はたぶん何倍にもなる。

使っているお金の額が違えば、サービスの質にも差が出るのか。出ないと思いたい。プロだから。でも、人間だし。

思い出した。先週の昼休みに、会社の後輩が「推しのカフェに行ってきた」って写真を見せてくれたときのこと。

私も同じカフェに行ったことがあるのに、後輩の写真のほうがなぜかキラキラして見えた。

同じ場所でも、人によって体験の受け取り方は違う。

でも、カフェはコーヒーの値段で味が変わったりしない。女風はどうなんだろう。

その疑問を抱えたまま、次の口コミに指がスクロールしている。

他人の体験と自分の体験を比べてしまう

他人の体験と自分の体験を比べてしまう

翌朝、通勤電車の中でまた口コミを開いてしまった。

昨日の夜あれだけ読んだのに、まだ読む。もう新しい口コミは出てこないのに、同じ文章をもう一回読み返している。

何かの確認作業みたいだった。

「確認行動」という言葉を、昔どこかで聞いたことがある。不安を打ち消すために何度も同じ行為を繰り返してしまうこと。鍵を閉めたか何回も確かめに戻る、みたいなやつ。

今の私がやっているのも、それに近いのかもしれない。

口コミの向こうに「女性としてのスペック」が透けて見える

口コミを読みすぎた結果、変なことを考え始めてしまった。

口コミで「すごく褒めてくれた」「ずっと可愛いって言ってくれた」と書いている人がいる。

素直に受け取ればいい話なのに、私の頭の中では別の回路が動き出す。

この人は、可愛いから褒められたんじゃないか。

スタイルがいいから、セラピストさんのテンションが上がったんじゃないか。若いから、対応が違ったんじゃないか。

最悪の想像だと自分でもわかっている。セラピストさんは仕事としてお客さんに向き合っているわけで、ルックスやスタイルや年齢で対応を変えるなんて、プロとしてあり得ないと思いたい。

でも、セラピストさんも人間だ。

目の前に20代のきれいな女性が来たときと、30代の、まあ普通の、自分に自信がない女が来たときで、まったく同じテンションでいられるものなのか。

考えてもしょうがないことを考えている。

でも口コミを読んでいると、書き手の「輪郭」が透けて見えてくることがある。文体や言葉の選び方から、この人はたぶん若いな、とか、慣れてる人だな、とか。

そしてその輪郭を自分と比べてしまう。

年齢。体型。顔。自信があるかないか。

被り問題で他のお客さんの存在に気づいてしまったとき、私は「独占したいんじゃない、比較したくないだけ」と書いた。

口コミを読み漁っている今も同じだ。比較したくない。でも口コミという形式が、どうしても比較を避けられない構造を持っている。

あの人はたくさんキスされた。私はされなかった。

あの人はお泊まりで朝まで一緒にいた。私は120分だった。

あの人は「可愛い」と言われた。私は言われたっけ。覚えてない。覚えてないということは、たぶん印象に残るほどは言われてない。

こんな比較をしている自分が惨めだった。

口コミを書いた誰かが悪いわけじゃない。セラピストさんが悪いわけでもない。

ただ、私の自己肯定感の低さが、口コミという媒体を通して全部あぶり出されている。

セラピスト側の声を探してみた

ユーザーの口コミばかり読んでいても沈んでいくだけだと思って、セラピスト側の投稿を探してみた。

あるセラピストさんがXでこう書いていた。

「目の前のお客様に集中しています。前の方と比べることも、次の方のことを考えることもありません。その時間はその方だけのものです」

読んだ瞬間、少しだけ胸の奥がゆるんだ。

別のセラピストさんの投稿では「口コミを書いてくださるのは嬉しいけれど、内容が具体的すぎると他のお客様が不安になることもあるので、そこは少し配慮してもらえたら」と書いていた。

ああ、やっぱりそうなんだ。セラピストさん側も、口コミの内容によっては困っていることがあるんだ。

ラブレターみたいな口コミも、官能小説みたいな口コミも、書いた本人は悪気がないのかもしれない。自分の体験を正直に残したかっただけかもしれない。

でもそれを読んだ別のお客さんが、「私のときは違った」と感じて傷つくことがある。セラピストさんもそれをわかっていて、でもコントロールできない。

この構造、女風のSNS界隈で何度も見てきたやつだ。

意図と受け取り方のズレ。毎回同じところで揉める。

口コミを閉じて、自分の感覚を信じたい

でも、ちょっとだけ引っかかること

会社の昼休みが終わって、午後の会議に向かう廊下で、ふと思った。

私は、自分の体験を自分で受け止められていないんだ。

だから他人の体験を読んで、答え合わせをしようとしている。

「これでよかったんだよね?」って、口コミに聞いてる。

でも口コミは答えてくれない。当たり前だ。他人の体験は他人のもので、私の体験の評価基準にはならない。

しかも、口コミに書かれている内容がどこまで本当なのかもわからない。盛っているかもしれない。記憶の中で美化されているかもしれない。官能小説みたいに書いている人は、たぶん書くこと自体が楽しくなっている。

私が読んで勝手に傷ついて、勝手に比較して、勝手に劣等感を膨らませている。

帰宅後、お風呂にお湯を張りながら考えた。

あの日の施術で、私が感じたこと。

緊張して手が冷たかったこと。セラピストさんが「大丈夫ですよ」と言ってくれたときに、肩の力がほんの少し抜けたこと。

途中で何を考えていいかわからなくなって、天井のシミをぼんやり見ていたこと。帰りの電車で、なぜか泣きそうになったこと。

キスが多かったかどうかなんて、正直わからない。

120分が長かったのか短かったのかも、わからない。でも、あの空間にいた自分は確かにいて、あの時間は確かに流れていた。

それが私の体験だ。他の誰かの口コミとは一致しなくていい。

お泊まりの人と比べなくていい。若くてきれいな人と比べなくていい。ラブレターみたいな感想を書ける人と比べなくていい。

そう思えたのは、たぶんお風呂のお湯に浸かってようやく、スマホから物理的に離れたからだと思う。お風呂にスマホを持ち込んでいたら、またきっと口コミを開いていた。

口コミを見てしまう気持ちは、たぶんこの先もなくならない。

結局のところ、この不安の根っこは「正解がわからない」ことにあるんだろう。女風には明確なマニュアルがない。「正しい受け止め方」も存在しない。だから口コミに正解を求めてしまう。

でも、口コミは正解じゃない。他人の感想だ。

しかもその感想の中には、セラピストさんの評価を上げるために冷静に書かれたものもあれば、自分の気持ちを吐き出すために書かれたものもある。

その区別がつかないまま全部浴びたら、そりゃ揺れる。

次にまたセラピストさんに会うことがあったら、口コミを読む前に自分の気持ちをどこかに書き留めておこうと思う。このブログでもいい。スマホのメモでもいい。

他人の体験で自分の体験を上書きしてしまう前に、自分の言葉で残しておきたい。

120分でも、キスが少なくても、官能小説みたいな感想が書けなくても、私の体験は私のものだ。

それができたら、口コミを読んでも揺れなくなる日が来るのかもしれない。

来ないかもしれないけど。

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