女風の被り問題 | フォロー1・フォロワー1の専用垢があるの?

女風の被り問題 | フォロー1・フォロワー1の専用垢があるの?

気になるセラピストのフォロワー欄に、フォロー1・フォロワー1のアカウントを見つけた。

専用垢だ。

「今日は好きピと会ってきました」の投稿で、同じセラピストのお客さんだと気づいた瞬間、胸がざわついた。

嫉妬じゃない。比較してしまう自分にショックを受けた。

女風の「被り問題」、見えなくてよかったものが見えてしまうSNS時代の話。

目次

見えなくていいものが、見えてしまった

気になっているセラピストさんのアカウントのフォロワー欄を、なんとなく眺めていた。

深夜1時。布団に潜り込んで、画面の明るさを最低にして。いつもの悪い癖だ。

フォロワーの中に、ひとつ気になるアカウントがあった。

  • アイコンは花の写真
  • プロフィールはほぼ空白
  • フォロー1、フォロワー1

フォローしている1人が、そのセラピストさんだった。

つまり、このアカウントは、このセラピストさん専用に作られたもの。

他の誰のためでもなく、たった一人のセラピストの投稿を追うためだけに存在しているアカウント。

指先が冷たくなった。

女風のSNSを見るようになってしばらく経つ。匂わせっぽい投稿を深夜に追いかけてしまった夜から、私のSNSの使い方はどんどんおかしくなっている自覚がある。

でも今日のこれは、匂わせとかそういう次元の話じゃなかった。

「他のお客さん」の存在が、アカウントの形をして、そこにいた。

「被り問題」という言葉を初めて知った夜

動揺したまま、検索窓に「女風 被り」と打ち込んだ。

出てきた。たくさん出てきた。「被り問題」

女風のSNS界隈では、わりと有名な話題らしい。

同じセラピストに複数のお客さんがつくこと。当たり前だ。仕事なんだから。

頭ではわかっている。わかっているけど、フォロー1・フォロワー1のあのアカウントを見た瞬間、自分の中で何かが揺れた。

あの人は、私よりも前からこのセラピストさんを知っているのかもしれない。何回も利用しているのかもしれない。

専用アカウントを作るくらいだから、それなりの回数を重ねているんだろう。

被り問題について書いているユーザーさんの投稿を読んでいく。

「担当のフォロワー欄に、明らかに専用垢がいるとそわそわする」

わかる。さっきの私がまさにそれだった。

「SNSがなかったら知らなくて済んだのに」

それもわかる。

スマホを持つ手がじわっと汗ばんでいる。こんな時間に何をやってるんだろう。

まだ利用経験だって浅いのに、他のお客さんの存在に動揺してる自分が、ちょっと怖い。

独占したいんじゃない、比較したくないだけ

最初に感じたのは「嫉妬」だと思った。

でも、しばらく自分の気持ちを観察していたら、ちょっと違った。

嫉妬というより、「比較」だった。

そのアカウントの投稿を見にいってしまった自分が一番怖い。

投稿数は少ない。でもその少ない投稿の中に「今日は好きピと会ってきました」という一文があった。

好きピ。好きなセラピストの略らしい。初めて見た言葉だけど、意味はすぐにわかった。

この人は、あのセラピストさんと会っている。施術を受けている。そしてその感想をこうして書いている。

別の投稿では「今月2回目、自分へのご褒美」と書いてあった。月に2回。

私なんかよりずっと慣れている。ずっと距離が近い。

そう思った瞬間に、胃のあたりがじんわり重くなった。

独占したいわけじゃない。そんなこと、サービスに対して求めていいはずがない。

でも、

  • 「私はまだ1回も会ったことがないのに」
  • 「この人はもう何回も会って、専用アカウントまで作っている」

と、勝手に比較が始まってしまう。比べたいわけじゃないのに、比べてしまう。

気がついたら、その人の投稿を最初まで遡っていた

我に返ったとき、私はその人の過去の投稿をかなり遡って読んでいた。

何をしてるんだろう。本当に何をしてるんだろう。

施術の感想をぼかして書いている投稿。「今日の好きピ、やばかった」とだけ書かれた一文。

たまに載せているネイルの写真。その人の生活の断片が、スクロールするたびに出てくる。

ふと、職場で隣の席の子が彼氏とのLINEを嬉しそうに見せてきた日のことを思い出した。

あのときと同じ感覚だ。自分には持っていないものを、他の誰かが当たり前のように持っている。

スマホを裏返して、布団をかぶった。

天井の暗がりを見つめて、息を吐く。私は一体、何に傷ついてるんだろう。

被り問題がSNSで定期的に炎上する理由

翌日の昼休み、お弁当を食べながらまた検索してしまった。

今度は「女風 被り問題」で。

セラピスト側の投稿も読んでみたくなった。

ユーザー側の気持ちだけで判断したくないという、自分なりのバランス感覚だったと思う。

あるセラピストさんがこう書いていた。

「お客様全員を大切に思っているのは本当です。でもSNS上で誰がフォローしてくれているか、誰が専用垢を作ってくれているかは、こちらからはコントロールできない」と。

別のセラピストさんは「お客様同士がSNSで互いの存在に気づいてしまうことがある。それが原因で予約が途絶えることもあって、正直つらい」と書いていた。

なるほど、と思った。

セラピスト側も困っている。自分のお客さんを全員同じように大切にしたいのに、SNSの構造がそれを見えなくしてくれない。

フォロワー欄を見れば専用垢がわかる。投稿を辿れば「好きピと会ってきた」の報告が見える。

見えてしまうから、ユーザー同士で比較が生まれる。比較が生まれるから、気まずさが発生する。

この構造、どこかで見た気がする。

そうだ。匂わせ問題と似ている。投稿の意図と、受け取る側の解釈が噛み合わない。見る側が深読みしてしまう。だから毎回揉める。

見えてしまう構造そのものが問題なのかもしれない

ユーザーさんの投稿に「被り問題の本質は、見えなくていいものが見える環境にある」と書いている人がいた。

スクショを撮りかけたけど、撮ってどうするんだろうと思ってやめた。

昔だったら他のお客さんの存在なんて知りようがなかった。

店舗型の商売なら、前の人が帰ったあとに自分が入るだけ。顔も名前も知らない。

でもSNSがあると、フォロワー欄から専用垢がわかる。その人の投稿を辿れば、いつ施術を受けたかまでわかる。「今日は好きピと会ってきました」の一文だけで、日付も頻度も見えてしまう。

見えてしまうから、比べてしまう。

セラピストさんが悪いわけでも、他のお客さんが悪いわけでもない。ましてや、専用垢を作ること自体は何も問題ない。

ただ、SNSという仕組みが、本来見えなくてよかったものを見えるようにしてしまっている。それが被り問題の正体なんだと思う。

ただ、こうやって構造を理解しても、あの夜の胸のざわつきが消えるわけじゃない。

頭で理解することと、感情が追いつくことは別なんだって、最近よく思う。

水問題のときも封筒問題のときも、暗黙のルールを調べれば調べるほど不安になった。被り問題も同じだ。

構造がわかっても、モヤモヤだけが残る。

見ない工夫は、自分を守る工夫

あの夜から数日経って、少し冷静になった。

SNSで見かけた投稿の中に「被り問題の一番のケアは、SNSとの距離を取ること」と書いている人がいた。

ユーザーさんだった。「フォロワー欄を見にいかなくなってから、だいぶ楽になった」と。

フォロワー欄を見にいかない。言われてみれば当たり前のことなのに、気になったら最後、全部確認してしまう私には難しい。

でも、確かにそうだと思った。被り問題って、自分から見にいかなければ発生しない問題だから。

セラピストさんのフォロワー欄を開かない。専用垢っぽいアカウントを見つけても、投稿を辿らない。

「好きピ」で検索しない。自分で線を引く。見えてしまう構造に対して、自分の行動で距離を取る。

それは「見て見ぬふりをする」とは違うと思う。自分の心を守るための選択だ。

そもそも、サービスとして利用していること自体は何も悪くない。他のお客さんがいることも当たり前。

頭ではわかっている。でもSNSを通じてそれが可視化されたとき、自分の中の予想外の感情に出会ってしまう。

比較したくないのに比較してしまう自分。そこに気づけたこと自体は、たぶん悪いことじゃない。

お風呂に入りながらぼんやりお湯を見ていた。私は女風のことを調べるうちに、いろんな問題の存在を知った。

水の話、封筒の話、DMの話、営業の話、匂わせの話。

そして今度は被りの話。調べるたびに、自分の中の知らなかった感情が出てくる。

怖いけど、知らないまま飛び込むよりはいいんだと思う。たぶん。

他の人の感想や口コミが気になり始めたら、もっと深い沼が待ってる気もする。でも今日はもう、スマホを閉じる。

明日の朝、またあのフォロワー欄を見にいってしまうかもしれないけど。

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