帰り道、ドラッグストアに寄った。
ハンドクリームを買うつもりだった。
棚の前で何種類か手に取って、匂いをかいで、結局いつもと同じものをカゴに入れた。
レジに並びながら、ふと自分の手を見る。
爪は短く切ってあるけど、甘皮が荒れている。冬の名残でささくれが何本かできていた。
580円。
この580円は迷わない。
ハンドクリームは「自分の手に塗るもの」で、誰にも説明しなくていいし、レジの人も何とも思わない。
当たり前に買って、当たり前に使う。
でも、セラピストさんに会うために使った2万円は、3回目になった今でもまだ胸のどこかが痛む。
自分にお金を使うことが、こんなに難しいとは思わなかった
- ハンドクリームは買える
- コンビニのスイーツも買える
- UNIQLOのヒートテックも
- 980円のリップも
- 友達の誕生日プレゼントも
お金を使うこと自体が苦手なわけじゃない。
苦手なのは、「自分の心と身体のために」お金を使うこと。
最初にこのサービスの料金を見たとき、私は金額そのものよりも、「この金額を自分のために使っていいのか」で手が止まった。飲み会3回分。
美容院1回分。数字に置き換えることで、判断を先延ばしにしていた。
3回通った今でも、予約確認のメールが届くたびに一瞬だけ指が固まる。
2万円。また使うのか。この2万円は、誰かの役に立つわけでも、形に残るわけでもない。
帰宅して、靴を脱いで、買い物袋をキッチンに置いた。
ハンドクリームを棚にしまう。さっき何の抵抗もなく買った580円と、毎回胸が痛む2万円。
この差はなんだろう。
「もったいない」の正体
しばらく考えて、気づいたことがある。
ハンドクリームは「手荒れを防ぐため」。目的がはっきりしていて、結果もわかりやすい。
手がしっとりする。効果が目に見える。だから迷わない。
でも女風に使うお金は、何のため?
心のため。身体のため。安心して触れられる時間のため。
言葉にするとそうなるけど、それが「正当な理由」として自分の中に着地しない。まだ、しきれていない。
「もったいない」という感覚の裏側にあるのは、たぶんお金の問題じゃない。「自分の心にお金を使う価値があるのか」という問いだ。
もっと正確に言えば、「私の心に、そこまでする価値があるのか」。
ここで話がずれるけど、先週、会社の後輩が有休をとって温泉に行ったらしい。
「リフレッシュしてきました」って月曜日に笑顔で言っていた。
周囲も「いいね」「必要だよね」って返していた。
温泉。1泊2食付きで1万5千円くらいだろうか。自分の心身のために1万5千円。
誰もそれを「もったいない」とは言わない。
私の2万円も、本質は同じはずなのに。
自己肯定感が低いと、セルフケアのハードルが上がる
お風呂にお湯を張りながら、服を脱いだ。
鏡に映る自分の身体を、なるべく見ないようにする。この癖はもう何年も変わらない。
自分のことが好きになれないって書いた日から、根本的には何も変わっていないのかもしれない。
ただ、少しだけ変わったこともある。
以前の私は、「自分のこと好きじゃないのに、誰かに触れてもらう資格なんてない」と思っていた。
好きになれない自分に、お金をかける意味がわからなかった。
セルフケアという言葉は知っている。雑誌にもSNSにも溢れている。
アロマキャンドルを灯して、入浴剤を入れて、好きな音楽を聴いて。それがセルフケア。
でも、自己肯定感が低い人間にとって、セルフケアは「やり方」の問題じゃない。
「やっていいのか」の問題なのだ。
自分を大切にしましょう、って誰もが言う。本にもネットにも書いてある。
でもそれは「自分を大切にできる自分」を前提にしている。
自分のことを嫌いな人間が、自分を大切にする行為に踏み出すには、その前にもうひとつ壁がある。
「こんな私が、大切にされていいの?」
この壁。
お湯に浸かって、膝を抱えた。天井の水滴を目で追う。
女風は「自分を好きになる」ためじゃなかった
3回通ってわかったけど、女風に通っても、急に自己肯定感が上がるわけじゃない。
朝、鏡を見て「うわ」って思うのは変わらない。会議で意見を言えないのも変わらない。
甘皮が荒れた手で顔を洗いながら「もうちょっとちゃんとしなよ」って自分に言うのも変わらない。
でも、ひとつだけ変わったことがある。
「自分の身体と心に、お金と時間を使った」という事実が、自分の中に残っている。
それは、自分を好きになったということではない。
ただ、嫌いな自分を放置しなかった、ということ。
このニュアンスが伝わるかわからないけど、私にとってはこの差がすごく大きい。
「情けないけど、私には必要なんだと思う」って書いた日、私は泣きながらこの日記を打っていた。
情けなくて、恥ずかしくて、でも認めるしかなかった。あのとき感じた「情けなさ」が、今は少しだけ違う色をしている。
情けないのは変わらない。でも、情けないまま行動した自分のことを、ほんの少しだけ、否定しきれなくなっている。
「自分を大切にする」の最初の一歩は、きれいじゃなかった
湯船から上がって、バスタオルで身体を拭く。さっき買ったハンドクリームを手に塗った。
ふわっとラベンダーの匂いがした。
SNSで見るセルフケアは、いつもきれいだ。
おしゃれなバスソルト、高級なボディクリーム、朝のヨガ、グリーンスムージー。
「自分を大切にしています」って、胸を張って言えるような行為。
私のセルフケアは、最初は「お金を払って男の人に抱きしめてもらう」ことへの自己嫌悪から始まった。
検索履歴を消して、予約フォームの前で固まって、当日は4回着替えて、電車の中で何度も引き返そうとした。
きれいなんかじゃなかった。ぐちゃぐちゃだった。
でも、ぐちゃぐちゃのまま踏み出したからこそ、今ここにいる。
自己肯定感が低い人間のセルフケアは、たぶん「自分を好きになること」から始まらない。
「自分を嫌いなまま、それでも自分のために何かをする」ところから始まる。
それはハンドクリームを買うことかもしれないし、温泉に行くことかもしれないし、女性用風俗に通うことかもしれない。
どれが正解かはわからない。ただ、私の場合は、女風だった。
リビングに戻って、ソファに座った。テレビはつけない。
静かな部屋で、さっき塗ったハンドクリームの匂いだけがかすかに漂っている。
自分のことを好きになれたわけじゃない。
たぶん明日もまた鏡を見て「うわ」って思う。会議では黙るし、集合写真では端に立つ。
でも、月に一回、自分の心と身体にお金を使うことを「もったいない」と思う声が、前より少しだけ小さくなっている。
それだけでいい。今は、それだけでいい。

