洗い物をしながら、ふとテレビの音が耳に入った。
バラエティ番組で誰かが笑っている。何が面白いのかわからないまま、スポンジで茶碗の裏をこすっていた。
泡が流れていくのを見ながら、昨日の夜からずっと頭の中にある言葉を転がしている。
情けない。
この言葉が、もうずっと離れない。
この数週間の自分を、並べてみる
シンクに水を流しながら、最近の自分のことを考えていた。
体験談を7回も読んだ。料金表を何度も開いた。予約フォームの前で40分も固まった。職場では何食わぬ顔で笑って、家に帰ったらスマホをプライベートモードで開く。検索履歴を消す。タブを全部閉じる。布団にもぐって天井を見る。
書き出すと、すごい量だ。
これだけの時間とエネルギーを使って、私は何をしてるんだろう。女性用風俗のことを、ずっと考えている。考えては引いて、引いてはまた考えて。その繰り返し。
洗い物が終わった。手を拭いて、テレビを消した。急に静かになった部屋で、冷蔵庫のかすかな音だけが聞こえる。
ソファに座って、膝を抱えた。
最初に「何考えてるんだろう」って自分に引いたあの夜から、どれくらい経っただろう。お金を払って男の人に抱きしめてもらうなんて、と目を逸らした夜。あのときの「情けない」と、今の「情けない」は同じ言葉なのに、ちょっとだけ質が違う気がする。
あのときは、考えること自体が情けなかった。
今は、考え続けてもやめられない自分が情けない。
情けなさの中身が変わっている
冷蔵庫から炭酸水を出して、グラスに注いだ。しゅわしゅわと泡が立って、すぐに静かになる。
飲みながら思った。
情けないの種類が、いつの間にか変わっている。
最初は「こんなサービスに興味を持つ自分が情けない」だった。
それが「何度も検索してしまう自分が情けない」になって、「予約フォームの前で固まる自分が情けない」になって、「2万円の使い道を真剣に悩む自分が情けない」になった。
情けないのはずっと変わらない。でも情けなさの場所が、入り口からだんだん奥に進んでいる。
つまり私は、情けないと思いながらも、一歩ずつ進んでいたのかもしれない。
いや、「一歩ずつ進んでいた」なんて、きれいにまとめたくない。実際はもっとぐちゃぐちゃだった。進んで戻って、戻って進んで、横にそれて、また戻る。体験談を読んで安心して、5分後に自己嫌悪して、翌日には忘れたふりをして出社する。
でも事実として、今の私は最初の夜の私とは違う場所にいる。
「必要」って言葉が、喉のあたりまで来ている
グラスの結露が指に伝った。テーブルに丸い水の跡ができる。
ここのところ毎晩同じことを考えていて、昨日の夜は2万円を自分の心に使っていいのかということをずっと考えていた。
飲み会3回分。美容院1回分。金額の計算をしたところで答えは出なくて、結局また天井を見て終わった。
でも今日、洗い物をしながら、ひとつだけはっきりしたことがある。
私はこのサービスを「必要だ」と思っている。
書いてみると、当たり前のことみたいに見える。当たり前じゃないのに。この言葉を自分の中に認めるまでに、どれだけの夜が必要だったか。
必要。
口に出しては言えない。でも、頭の中では何回も浮かんでいた。お風呂の中で。電車の中で。お昼ご飯を食べながら。会議中にペンを回しながら。
ふと、今日のお昼のことを思い出した。同期が「週末ネイル行くんだ」と言っていて、私は「いいね」と返した。
彼女にとってネイルは必要なものだ。月に1回、自分の爪をきれいにする時間。それを誰も否定しない。
私にとっての女風も、そういうことなのかもしれない。
いや、違う。同じに見えるわけがない。ネイルと女性用風俗は全然違う。社会的に見たら、全然。
でも、「自分にとって必要なもの」という意味では。
わからない。まだ言い切れない。
認めることと、受け入れることは違った
あの夜、「そこまでして触れたいの?」に「うん、そうだよ」って答えた。あれは認めた瞬間だったと思う。
でも認めることと、受け入れることは別だった。
触れたいと認めた。自分の欲求を正直に認めた。それはできた。
でもそこから、「じゃあそのサービスを使おう」というところまで行くには、もう一段階、何かが必要だった。
その「何か」が、たぶん今日わかった。
「情けないけど、必要だ」を、そのまま飲み込むこと。
情けなさが消えてから行動するんじゃない。情けなさを抱えたまま、それでも「必要だから」と言えるかどうか。
きれいに割り切れない。すっきりしない。モヤモヤは残る。
でも、もう待てないのだと思う。情けなさが消える日を待っていたら、たぶんずっと動けない。
土曜の夜、カーテンを閉めながら
ソファから立ち上がって、カーテンを閉めた。外はもう暗い。マンションの向かいの部屋に明かりがついていて、カーテン越しに人影が動いているのが見えた。
あの人にも、誰にも言えないことってあるのかな。
ふと、そんなことを考えた。あの人影が男の人なのか女の人なのかもわからない。ただ、どこかの誰かが自分の部屋で生活している。それだけのこと。
私も、自分の部屋で、自分の生活をしている。その生活の中に、女性用風俗が必要だと思い始めている。
情けない。これは変わらない。
でも、情けなさの向こう側に、かすかに別の感情がある。
安堵、に近いかもしれない。ずっと蓋をしていたものに、ようやく名前をつけた感覚。「必要」という名前を。
自分を好きになれないまま、自分の身体と心が求めているものを「必要だ」と認める。矛盾しているのかもしれない。でも矛盾していてもいいと、今は思える。
完璧に納得してから動ける人はすごいと思う。私はそうじゃない。情けないし、恥ずかしいし、誰にも言えないし、自分でも引いてる部分がある。
でも、それでも。
歯を磨きながら、鏡の中の自分を見た。疲れた顔をしている。髪がぱさぱさで、肌も荒れている。相変わらず好きにはなれない顔だ。
この顔の私が、「私には必要なんだと思う」と言っている。
声には出さなかった。口の中でだけ、もごもごと。歯磨き粉の泡と一緒に。
吐き出した泡を見ながら思った。これを書こう。日記に。今日のこの気持ちを、書き留めておこう。
明日になったらまた揺れるかもしれない。また「やっぱり無理」と思うかもしれない。だから今、この瞬間の「必要だと思う」を、どこかに残しておきたい。
情けないけど、私にはたぶん必要なサービスなんだと思う。
たぶん。まだ「たぶん」がついている。完全には言い切れていない。でも「たぶん」つきでも、ここまで来られたことを今日は許そうと思う。
ベッドに入って、スマホを手に取った。予約フォームは開かない。今日は開かなくていい。
ただ、明日か、明後日か。そう遠くないうちに、あのフォームにもう一度向き合う日が来ると思う。
そのときに、今夜の自分がちゃんと「必要だ」と書いたことを、思い出せるように。
スマホを枕元に置いて、目を閉じた。
情けないまま眠れるのは、少しだけ成長なのかもしれない。そうじゃないかもしれない。わからないけど、今日はもう、考えるのをやめる。

