朝9時。目覚ましをかけてなかったのに、きっちり目が覚めた。
身体が平日のリズムを覚えてしまっている。休みの日くらいもっと寝ていたいのに、律儀に起きてしまう自分が嫌になる。
スマホを手に取る。ロック画面に通知は2件。楽天のセール告知と、クレジットカードの引き落とし案内。
誰からでもない土曜日が、また始まった。
680円で買える「外出した自分」
布団の中でInstagramを開いてしまうのは、もうほとんど癖になっている。
フォローしている子たちの投稿が並ぶ。彼氏とお泊まりディズニー。友達5人でブランチ。「週末は推し活で大忙し!」ってストーリーに、キラキラしたスタンプが並んでる。
みんな、ちゃんと休日を「使って」いる。
私はベッドの中で、画面をスクロールしているだけ。
「このままじゃダメだ」と思って、顔を洗った。最低限の日焼け止めとアイブロウだけして、部屋を出る。行き先はいつもの駅前のスタバ。
別に、スタバに行きたいわけじゃない。
家にひとりでいると、壁の静けさに押しつぶされそうになるから出るだけ。カフェにいれば「休日にお出かけしてる人」になれる。少なくとも外からはそう見える。
キャラメルフラペチーノのグランデ。680円。
窓際の席に座って、スマホを触る。でも開くアプリがない。Xのタイムラインを流し見しても何ひとつ頭に入らない。Kindleで買ったまま放置してる小説を開くけど、3ページで閉じた。活字が目を滑っていく。
結局スマホをテーブルに置いて、窓の外をぼんやり見る。
カップルと、ケーキの写真と、私のフラペチーノ
隣の席ではカップルが向かい合って笑っている。男の子のほうが女の子のクリームを指で拭ってあげてて、女の子がくすぐったそうに首をすくめた。
斜め前のテーブルでは、友達同士っぽい女の子たちがケーキの写真を撮り合ってる。「いやこの角度盛れるって!」「えー、もう一枚撮って」。楽しそうな声が耳に入る。
私はひとり。680円のフラペチーノと、画面の暗くなったスマホと、どこを見ればいいかわからない目線。
何やってんだろ、私。
680円払って、カフェにいる自分を演出して、結局ぼーっとしてるだけ。
ふと、隣のカップルの彼女のほうが、彼氏の手の上に自分の手を重ねた。自然に。当たり前みたいに。たぶん二人とも、その動作を意識すらしてない。
私はそれを見て、視線を窓の外に逸らした。
見てはいけないものを見たような気持ちだった。
「おひとりさまを楽しむ方法」が刺さらない理由
世の中には「休日ひとりの過ごし方」みたいな記事がたくさんある。
ひとり映画、ひとりカフェ、ひとり美術館。「自分と向き合う贅沢な時間」なんて書いてあって、おしゃれな写真が添えられている。
一度、そういう記事に感化されて、ひとりで上野の美術館に行ったことがある。印象派の展覧会だった。モネの睡蓮の前に立って、きれいだなと思った。きれいだなと思って、それだけだった。
隣にいたカップルが「この色すごくない?」「うん、なんか夢の中みたい」って話してるのを聞いて、足早にその場を離れた。
感想を言う相手がいない。「あの絵よかったよね」って共有する人がいない。見たものも感じたことも、全部自分の中で完結して、自分の中で消えていく。
おひとりさまを楽しめる人って、たぶん平日に誰かとちゃんとつながっている人なんだと思う。帰る場所がある人。「今日ひとりで美術館行ってきたよ〜」って報告できる相手がいる人。
私みたいに、平日も休日もずっとひとりの人間にとって、「おひとりさま」は贅沢なんかじゃない。ただのデフォルト。
何を食べても、どこに行っても、体験がぜんぶ「自分止まり」になる。その蓄積が、じわじわ効いてくる。
日曜の夕方が怖い
土曜日はまだいい。「明日もある」って思えるから。
でも日曜の夕方から夜にかけて、胸のあたりがぎゅっと重たくなる。明日からまた会社。満員電車に揺られて、デスクに座って、「お疲れさまです」を何回か言って、「お疲れさまでした」で帰る。月曜から金曜までその繰り返し。そしてまた、誰とも会わない土日が来る。
このループを、いつまで回し続けるんだろう。
前にも書いたけど、もう2年近くこの生活が続いている。慣れてきたのか、麻痺してきたのか、自分でもよくわからない。
お風呂で、自分の腕を抱きしめた夜
日曜の夜。お風呂に入りながら、ふと考えた。
最後に誰かに触れてもらったのって、いつだっけ。
美容院でシャンプーしてもらったとき? いや、あれは違う。あの人は仕事として私の頭を洗っただけだ。
好意を持って、私のことを気にかけて、私に触れてくれた人。思い出そうとして、思い出せなかった。
湯船の中で、自分の腕を自分で抱きしめてみた。
あたたかかった。でも、それはお湯のせいだってわかってる。
こういう気持ちを、誰かに話したことはない。職場の人に言ったら確実に引かれる。数少ない友達に言ったら、心配させた上で「彼氏作りなよ」「マッチングアプリは?」って返される。わかってる。
でも、そういうことじゃないんだよ。
恋人がほしいのとも、ちょっと違う。いたらいいなとは思うけど。
もっと手前の、もっと根っこのところ。
誰かに「ここにいていいよ」って思ってもらいたいだけ。自分の存在を、言葉じゃなくて体温で確認したいだけ。
でもそれを口に出したら「重い」って思われる。25歳にもなってこんなこと考えてる自分が情けない。
だから誰にも言えない。スタバでフラペチーノをすすりながら、窓の外を見つめることしかできない。
帰り道、夕方のスーパーで半額の弁当を買った。鮭と明太子。冷えたビニール袋を持って、暗くなり始めた道を歩く。
…そういえば、昔は日曜の夜にスーパーに行くと、翌週の献立を考えるのが好きだったっけ。一人暮らしを始めたばかりの頃。自炊が楽しかった時期。いつからだろう、半額弁当で済ませるようになったのは。
家に帰って、テレビをつける。ご飯を食べる。YouTubeを開く。お風呂に入る。髪を乾かす。ベッドに入る。
誰にも会わず、誰にも触れず、誰にも必要とされなかった休日が、またひとつ終わる。
布団をかぶって目を閉じる。明日は月曜日。アラームは6時45分。
何かが足りない。ずっと足りてない。それが何なのか、まだうまく言葉にできない。
でも身体はわかっているみたいで、この渇きには名前がある気がする。口に出すのが怖いだけで。
今の私には、まだその言葉を使う勇気がない。
枕に顔をうずめて、明日の朝が来るのを待つだけの日曜の夜。
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