料金を知った翌日、セラピスト一覧を開いた。
写真が並んだ瞬間、反射的にスマホを裏返した。
2万円という数字が、人の顔になった途端にリアルすぎて息が詰まった。
男の人を「選ぶ」ことの居心地の悪さ。それでもタブを閉じられない自分のこと。
10時半、会社のトイレで画面を開いた
昨日の夜、布団の中で「明日セラピストのプロフィール見てみよう」と思っていた。
料金を調べた日の最後に、画面の隅に「セラピスト一覧」というリンクが見えていたのを覚えていたから。
明日にしよう、と思ったはずだった。
でも「明日」は午前中に来た。
10時半。席を立ってトイレに向かう。個室に入って鍵を閉めて、便座に座って、スマホを開く。
もうこの動作が手慣れてきている自分が嫌になる。
セラピスト一覧のページを開いた。
男の人の写真がずらっと並んでいる。
口元から下だけの人。横顔の人。光の加減でぼかしてある人。
一枚目が表示された瞬間、私はスマホを膝の上に伏せた。
心臓がばくばくしている。会社のトイレで、知らない男の人の写真を見ている。しかも女性用風俗のセラピスト。
この状況を客観視したら、だいぶまずいところまで来ている気がする。
数字が「人の顔」になった瞬間
料金表を見ていたときは、まだ抽象的でいられた。
2万円はただの数字だ。ランチ何回分とか、美容院何回分とか、数字と数字の換算でどうにか処理できる領域にいた。
でも顔写真は数字じゃない。そこに人がいる。
この人が、私の隣に座るかもしれない。この手が、私の背中に触れるかもしれない。
その想像が一気に押し寄せてきて、息が浅くなった。
恥ずかしいのだと思う。怖いのとは少し違う。
「この人に触ってもらうかもしれない」と考えている自分が、恥ずかしくてたまらない。
それでもページを閉じなかった。
しばらく膝の上にスマホを伏せたまま、トイレの天井を見上げていた。換気扇の音がごうごう鳴っている。隣の個室で誰かが水を流した音が聞こえて、はっとした。
もう一回、画面を開く。
今度はゆっくりスクロールした。
男の人を「選ぶ」という行為
昼休み。コンビニのイートインでおにぎりを食べながら、またプロフィールを見ている。
昨日と同じ場所で、同じようにおにぎり食べて、同じようにスマホを見ている。
進んでいるのか止まっているのか、もうよくわからない。
プロフィールには身長、趣味、得意な施術、お客さんへのメッセージが書いてある。
175cm、趣味は映画鑑賞。178cm、アパレルと兼業。173cm、前職はスポーツトレーナー。
ひとりずつ読んでいく。たぶん15人くらい読んだと思う。
途中で手が止まった。
私はいま、男の人を「選んで」いる。
この人がいいとかこの人は違うとか、写真と文章だけで、身体を預ける相手を品定めしている。
その行為の名前がうまく見つからない。
普段の出会いはこうじゃない。職場で隣の席になったとか、友達の飲み会で偶然話したとか、マッチングアプリだって最初は「なんとなくいいかも」くらいの曖昧さで始まる。
でもこれは、写真とプロフィールを読んで、この人に触れてもらうかどうかを判断する行為だ。
面接みたいだと思った。しかも面接する側。
私が選ぶ。私が決める。
その責任の重さに、おにぎりの二個目が喉を通らなくなった。
「好みのタイプ」がわからない
友達に「どんな人がタイプ?」と聞かれたら、「優しい人」としか言えない。
昔からそうだった。身長何センチがいいとか、顔はこういう系がいいとか、そういう具体的な「好み」が自分の中に見当たらない。
だからプロフィールを何人分読んでも、基準が持てない。
全員、ちゃんとしてそうに見える。「お客様のペースに合わせます」「緊張されている方もご安心ください」。優しい言葉ばかり並んでいる。
でも「ちゃんとしてそう」の先がわからない。この中の誰がいいのか、何を基準に決めればいいのか。
元カレのことをふと思い出した。
あの人のことを好きになったのは「たまたま同じプロジェクトに配属されたから」だった。選んだのではなく流れだった。自分で選んだ恋愛なんて、思い返してみると一度もない気がする。
だから「選ぶ」ことに慣れていない。選ぶとそこに責任が生まれる。この人にしたのは自分の判断だ。何かあっても、自分のせい。
その重さ。
昼ごはんを食べてるだけなのに、肩が痛い。
帰り道、また同じページを開いていた
退勤して駅に向かう途中、もう一回開いてしまった。
つり革につかまりながら、片手でスクロールする。隣の人に画面を見られたらと思うと首の後ろが熱くなるのに、指が止まらない。
昼休みに少しだけ気になったセラピストのプロフィールをもう一回開く。
得意な施術が「リラクゼーション系」で、メッセージに「まずはゆっくりお話ししましょう」と書いてあった。
ゆっくりお話ししましょう。
その一文が、なぜか引っかかった。いきなり触るんじゃなくて、まず話を聞いてくれる。それだけで少し安心する。でもその安心の裏にすぐ、「こんな文章に安心してる自分どうなの」という声がかぶさってくる。
電車が揺れて、隣のサラリーマンの肩が当たった。
「すみません」と言われて、会釈を返す。
その一瞬、誰かの体温が腕に触れた感覚が残った。ほんの一秒もなかったと思う。
それなのに、じわっと温かかった。
こういう反応をしている自分が情けない。見知らぬ人の肩が当たっただけで「温かい」とか感じてしまう。どれだけ飢えてるんだろう。
家に帰って、シャワーを浴びて、ドライヤーで髪を乾かしながらも、あのプロフィールのことが頭から離れない。
気になる人がいる。
認めたくないけど。15人分のプロフィールを読んで、全員同じだと思えるならよかった。でも一人だけ、ちょっと長く読んでしまった人がいた。
それは「選んだ」ということなんだろうか。まだわからない。
口コミを少しだけ見てしまった
プロフィールだけじゃ判断できない。そう思って、口コミのページも覗いてしまった。
「手が温かくて安心しました」
たった一行の感想なのに、目が離せなかった。
手の温かさで安心できる。そんな単純なことで。
でもそれって、今の私が一番欲しいものじゃないか。
口コミにはたくさんの声が並んでいる。全部読みたくなった。でも今日はやめておく。これを読み始めたら朝まで止まらない予感がある。
怖さのことも、そのうち向き合わないといけないんだと思う。知らない男の人と密室でふたりきりになることの不安は、プロフィールをいくら読んでも消えない。
消えないけど、今日は考えないことにした。今日はまだ、写真を見るだけで精一杯だから。
布団の中で、タブを閉じられない
ベッドに入ってスマホを開いたら、ブラウザにセラピスト一覧のタブが残っていた。
閉じようと思った。右上の×ボタンに指を持っていった。
でも閉じなかった。
明日も見るだろうなと思ったから。
閉じないまま、画面を暗くして、スマホを枕の横に置いた。
選べない。でも気になる人がいる。まだ「指名」なんて言葉は怖くて使えないけど、頭の中にはもう一人の顔がぼんやり残っている。
口コミのことも、怖さのことも、選んだあとに何が起きるのかも、全部まだ先送りにしている。
先送りにしている自覚だけはある。
天井を見ながら考える。
あの15人のうちの誰かに、いつか本当に会うんだろうか。会ったら頭が真っ白になるんだろうか。
いや、まだそんな先のことは考えなくていい。
今日は、顔写真を見て、プロフィールを読んで、一人だけ少し気になる人がいた。それだけでいい。それだけで十分、今日の私は限界だった。
明日は口コミをちゃんと読んでみようか。
どんな人が使っているのか、もう少し知りたい。自分と同じような人がいるのかどうか、確かめたい。
それが安心材料になるのか、余計に不安になるのかはわからないけど。
知りたい。怖くても。
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