服を脱ぐ手が止まった。一緒にお風呂に入って、身体を洗われて、ベッドに横たわった。
マッサージから始まった施術がだんだん変わっていく。恥ずかしくて何度も顔を覆った。
でも、怖くなかった。女性用風俗で私がはじめて知った「安心して触れられる」という感覚のこと。
はじめて知った。「安心して触れられる」ってこういうことだったんだ

「じゃあ、先にお風呂入りましょうか」
その一言で、喉がきゅっと詰まった。
わかってた。流れは調べてあった。一緒にお風呂に入って、身体を洗ってもらって、それからベッドに移動する。
頭では知っていた。でも、今ここで、この人の前で服を脱ぐのかと思ったら、指が動かなくなった。
ファスナーをひとつおろすにあんなに時間がかかるとは思わなかった

バスルームのドアを開けてくれて、「先に入っててもいいですよ」と言われた。
背を向けてくれている。見ないでいてくれている。それはわかっている。
なのに、ワンピースのファスナーに手をかけたまま、しばらく動けなかった。
初めて会った男の人の前で、服を脱ぐ。
それがどういうことか、頭では理解していたつもりだった。
でも理解と、実際にここでファスナーを下ろすことのあいだには、巨大な溝がある。
深呼吸した。一回、二回。
下ろした。
鏡に映った自分

鏡に映った自分が見えた。下着姿の、痩せすぎでも太りすぎでもない、普通の身体。
こんな身体を、今からこの人に見せるのか。
恥ずかしい、と思った。
恥ずかしい。けど、ここで止めたら何のために来たのかわからなくなる。
下着も外した。タオルを胸の前で抱え込むようにして、バスルームに足を踏み入れた。

シャワーの音が会話の代わりになってくれた

セラピストさんはすでにバスルームにいた。
目のやり場に困った。向こうも気を遣ってくれているのか、すぐにシャワーのお湯を出して温度を確かめている。
「ちょっと熱いかもしれないので、言ってくださいね」
その声が普通だったことに、少し救われた。
緊張で身体が強ばっている私とは反対に、この人はいつもの仕事をしているだけなんだろう。
当たり前のことなんだ、この人にとっては。
お湯が肩にかかった瞬間、ほんの少しだけ力が抜けた。温かい。ただ温かい。
「背中、流しますね」
そう言われて、うなずいた。声が出なかったから。
手のひらがお湯と一緒に背中を流していく。泡がたてられて、肩甲骨のあたりをゆっくり洗われる。
洗われる、という経験自体が久しぶりだった。最後に誰かに身体を洗ってもらったのは、いつだろう。
子どものころ、母に洗ってもらった記憶が最後かもしれない。
手のひらが腰のほうに下りていく。脇腹を通って、お腹のほうへ。
びくっとした。
「くすぐったいですか?」
「……いえ、大丈夫です」
くすぐったいんじゃない。誰かの手が自分のお腹に触れることが、ただ怖かっただけ。
こんなに近くで、こんなに無防備な状態で、人に触れられること自体に慣れていない。
でも、怖さと一緒に、別の感覚もあった。温かい、と思っている自分がいた。
腕、脚と順番に洗われていく。丁寧で、急いでいない。作業じゃない。少なくとも、私にはそう感じられた。
お風呂から上がるころには、さっきまでの「服を脱げない」の緊張は少しだけ薄まっていた。
まだゼロにはなっていない。でも、この人の前にいることが、来たときよりは怖くなくなっていた。
ベッドの上で、知らない感覚が始まった

バスローブを羽織って、ベッドに案内された。
シーツの白さが目に入る。エアコンの音が妙に大きく聞こえて、自分の呼吸がそこに混じっているのがわかった。
「横になってもらって大丈夫ですか」
うつ伏せになった。顔を枕に埋める。施術用のタオルの匂い。洗剤の、清潔な匂い。
最初は、肩と背中だった

オイルの温かさが背中に広がった。
手のひらが肩甲骨のあたりから腰へ、ゆっくりと滑っていく。
力の入れ方が絶妙だった。強すぎないけど、「触ってるだけ」でもない。身体の奥のほうに沈んでいくような圧。
何往復かされるうちに、自分がずっと歯を食いしばっていたことに気づいた。
「肩、すごく張ってますね」
そう言われた。知ってる。いつもそう言われる。でもこの人は、それ以上なにも言わなかった。
肩の上に手のひらが置かれて、しばらくじっとしていた。揉まないし、押さない。ただ温かい手が、そこにある。
少しだけ、力が抜けた。
ここで全然関係ないことを思い出した。小学生のころ、熱を出して寝ていたら、母親がおでこに手を当ててくれた。あのときの温度に、少し似ていた。
あんなに悩んだコースのことがふと頭をよぎった。
デートコースにするかホテルコースにするか、施術の内容がどこまで含まれるのか、ずっとスマホとにらめっこしていた夜。
あのとき想像していた「施術」と、今起きていることが、全然つながらない。
マッサージだった手が、だんだん変わっていった

途中から、手の動きが変わった。
背中から脇腹へ、脇腹からお腹のほうへ。肩から鎖骨のラインをたどって、ゆっくり下りてくる。
頭ではわかっていた。ここから先は、マッサージとは違う領域に入るんだということ。
仰向けに戻されて、目が合った。合ったけど、すぐに逸らした。
「力、抜いて大丈夫ですよ」
大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが自分でわかる。
でも、手は止まらなかった。止まらない、というより、止まってほしくなかった。自分でもよくわからないけど、そう感じていた。
唇に触れられたとき、息が止まった。
柔らかくて、短かった。ほんの一瞬。でも全身に電気が走ったみたいに、指先まで痺れた。
恋人にされるキスとは全然違う。恋人だと「嫌われたくない」が先に来る。
好かれたい、かわいく見られたい、が混じる。ここにはそれがなかった。
ただ、されるがままでいていい。そのことが、怖いくらい心地よかった。
鎖骨から下に、手のひらが移動していく。
丁寧に扱われたことがない場所

身体のいろんな場所に触れられた。普段誰にも見せない場所。触れられたことがない場所。
あるいは、過去に触れられたことはあっても、こんなふうに丁寧に扱われたことがない場所。
細かいことは、正直うまく言葉にできない。
ひとつだけ確かなのは、「いやだ」と思う瞬間が一度もなかったこと。
恥ずかしかった。何度も顔を手で覆った。声が出そうになるのを必死で堪えた。
途中から堪えられなくなって、枕に顔を押しつけた。自分の身体がこんなふうに反応することを、知らなかった。
こんな格好させられて、こんなことされて、恥ずかしいに決まっている。
なのに、嫌じゃなかった。怖くなかった。
身体の芯のほうで、何かがほどけていくのがわかった。
一回だけじゃなかった。何度も。そのたびに頭が真っ白になって、戻ってきて、また白くなって。
涙が出ていた。前にも書いた。「今日はどうされたいですか」と聞かれたときも泣いた。でもこのときの涙は種類が違う。
悲しいとか嬉しいとかじゃなくて、溶けた、に近い。ずっとカチカチに固めていた何かが、溶けていく感覚。
終わったあと、しばらく起き上がれなかった

「お疲れさまでした」
その声で、終わったんだとわかった。
起き上がれなかった。身体がベッドに沈んでいるみたいで、腕に力が入らない。重力が変わった、みたいな感覚。
しばらくそのまま横になっていた。セラピストさんはタオルをかけてくれて、水を持ってきてくれた。
ゆっくり身体を起こして、水を飲んだ。
「どうでしたか?」
聞かれて、言葉が出なかった。
「……よかったです」
それしか言えなかった。語彙力がどこかに消えていた。
よかった、なんて薄い言葉で済ませたくなかったけど、他にどう言えばいいのかわからなかった。
セラピストさんはうなずいて、「それならよかったです」と言った。
私の勘違い

私は、ずっと勘違いをしていたのかもしれない。
女性用風俗の施術に対して、頭のどこかでずっと身構えていた。怖いことをされるんじゃないか、屈辱的な思いをするんじゃないか。
口コミを何十件も読んだときに「安心できた」「怖くなかった」って書いてあっても、それは他の人の話であって、自分がそう感じられるかはわからなかった。
でも、終わってみて思う。
怖くなかった。
恥ずかしかった。めちゃくちゃ恥ずかしかった。
自分の身体が勝手に反応することも恥ずかしかったし、声を我慢できなかったことも恥ずかしかった。
でも、怖くはなかった。
「ここでは、何もしなくていい」という空気があった。頑張って可愛くしなくていい。
会話を盛り上げなくていい。相手の反応を気にしなくていい。ただ横になって、委ねて、力を抜いて。それだけでいい。
それを、「安心して触れられる」と呼ぶのだと思う。
25年間生きてきて、はじめて知った感覚かもしれない。
こんなことを書いている自分が恥ずかしい。
お金を払って、知らない男の人の前で服を脱いで、身体を洗ってもらって、いろんなことをされて、泣いて、「満たされた」なんて。
人に言ったらどう思われるんだろう。
でも、今はそれでいい。
今日のことはちゃんと書いておきたかった。全部。忘れたくないから。

