あの夜のことを、なんて書けばいいのかわからない。
金曜の深夜2時、布団のなかでスマホの光だけが顔を照らしていた。明日は休みだからいいけど、最近こうやって夜更かしする回数が増えている。眠れないわけじゃない。眠りたくないのかもしれない。眠ったらまた朝が来て、また同じ一日が始まるから。
この前メモ帳に自分のスペックを打ち込んでから、なんだかずっと落ち着かない。
25歳、貯金73万、彼氏なし、最後のハグは1年8ヶ月前。
あの数字を見てから、「このままじゃ嫌だ」っていう気持ちだけがずっとお腹の底にある。でも何をしたらいいのかはわからないまま。
それで結局、布団のなかでスマホをスクロールしている。いつもの夜と同じように。
深夜のタイムラインは、昼間と別の世界でできている
Xを開いた。インスタは最近しんどくて見れない。みんなのキラキラした週末が流れてくるから。
Xのほうが楽だ。知らない人の、知らない日常。名前も顔も知らない誰かの本音が、タイムラインをゆっくり流れていく。
深夜のXって独特の空気がある。
昼間みたいに誰かを叩いたり、バズを狙ったりしてる人が少なくて、ただ静かに「しんどい」「眠れない」「誰かに会いたい」って書いてる人たちがいる。私はそれを読みながら、心のなかで「わかる」って呟いている。返信はしない。いいねも押さない。ただ、わかる、って思ってる。
そうやって20分くらいスクロールしてたら、親指が急に止まった。
リポストか、おすすめに上がってきたのか、もう覚えていない。でも目に入った瞬間、呼吸が一回分止まったことは覚えてる。
あの5文字が、画面に並んでいた
女性用風俗
最初、文字として認識できなかった。一文字ずつは読めるのに、5つ並ぶと意味が取れない。
風俗は知ってる。男の人が行くところでしょ。女性用って何。女性が行く風俗ってどういうこと。
ポストの内容は、誰かの体験談みたいだった。「初めて女性用風俗を利用しました」って、淡々とした文章で始まっていた。
布団のなかで、スマホを持つ手にちょっとだけ力が入った。
読まなければよかったのに、指が止まらなかった
驚きと、困惑と、あとほんの少しの何か。その「何か」の正体を、あのときの私はまだ認めたくなかった。
ポストにはいいねが何百もついていた。恐る恐るリプライ欄を開いてみたら、「私も気になってる」「ずっと迷ってた」「勇気もらいました」みたいな声がずらっと並んでいて、胸のあたりがざわついた。
こんなにいるの。こんなにたくさんの女の人が、このサービスを知っていて、気になっていて、実際に使っている人までいる。
ポスト主のプロフィールを見に行った。20代後半の、普通の会社員の女性みたいだった。猫の写真をよく上げていて、仕事の愚痴もたまにつぶやいている。スタバの新作の感想とか、Netflix観たとか、そういう投稿に混じって、あの体験談があった。
なんだ、普通の人じゃん。
私と何も変わらない人が、このサービスを使っている。そのことが、なぜかすごく心に引っかかった。
Xの検索窓に、自分の意思で打ち込んだ
リプライもいいねもできなかった。さすがにそこまでの勇気はない。
でも、そのかわりにXの検索窓に「女性用風俗」って打ち込んでいた。指が勝手に動いた、って書きたいけど、嘘になる。自分の意思で打った。
検索結果に並んでいたのは、体験談、体験談、体験談。
「行ってきました」「泣きました」「思っていたのと全然違った」
泣いた? どういうこと?
自分の中にあった「風俗」のイメージと、画面に並ぶ言葉のギャップが大きすぎて、処理が追いつかない。でも読むのをやめられなかった。ひとつ読み終わると次のポストをタップしていて、気づいたら30分以上経っていた。
途中で、ぜんぜん関係ないことを思い出した。大学のとき、ゼミの先輩が「世界にはまだ自分の知らないことがたくさんある、それを知るたびに世界が広がる」って言っていた。
私はそのとき「かっこいいこと言うなあ」くらいにしか思わなかったけど、今この瞬間、あの言葉がちょっとだけわかった気がする。ただし先輩が想定していた「世界の広がり」とはだいぶ方向性が違うと思うけど。
時計が3時を過ぎていた
Xからいつの間にかGoogleに移動していた。「女性用風俗とは」って検索した。
出てきた説明を読んだ。セラピストと呼ばれる男性がいること、ホテルで施術を受けること、マッサージから始まるらしいこと。読みながら、心臓がどくどくしていた。
恐怖なのか興味なのか、自分でも区別がつかない。
ふと、自分を上から見下ろしているような感覚になった。深夜3時に、25歳のOLが、暗い部屋でひとりで布団にくるまって、女性用風俗について調べている。
私、なにやってるんだろう。
その問いが頭をよぎった瞬間、スマホの画面が急にまぶしく感じて、裏返して枕元に置いた。もう寝よう。
天井を見た。暗すぎて何も見えない。
でも頭のなかには、さっき読んだ体験談の言葉がぐるぐる回っている。
「久しぶりに人の体温を感じた」「大事にされる感覚を思い出した」
その言葉たちが、あまりにも自分の欲しかったものに近すぎて、怖かった。
ここ最近ずっと、誰かに触れてほしいと思っていた。でもそれを口にすることも、文字にすることもできなくて、蓋をして、鍵をかけて、その上にまた蓋をしていた。
なのに画面の向こうの知らない女性が、「あなたと同じだったよ」って言っているみたいだった。
5分後、またスマホを手に取っていた
もう寝るって決めたのに。
ブラウザの履歴を全部消してから、もう一度検索窓を開いた。今度は「女性用風俗 出張ホスト 違い」と打った。さっき読んだポストの中に出張ホストという言葉が出てきて、何がどう違うのかわからなかったから。
調べ始めたらまた止まらなくなるのはわかっていた。わかっていたのに止められなかった。
もう少しだけ。もう少しだけ知りたい。
結局、4時近くまでスマホを見ていた。
寝る前にもう一度、検索履歴を全部消した。誰に見られるわけでもない。一人暮らしなのに。それでも消さずにはいられなかった。
消すという行為が、なんだか自分の気持ちごと削除しているみたいで、終わったあとの画面がまっさらになっているのを見て、ほっとした自分と、情けなくなった自分が同時にいた。
布団を頭までかぶって、目を閉じた。
明日になったら忘れよう。こんなこと調べていた自分のことも、あの体験談を読みながら胸がざわついたことも、全部忘れよう。
でもたぶん、忘れられない。
この世界に、そういうサービスがあるということを知ってしまった。そして私が、それにほんの少し心を動かされたということも。
知らなかった頃の自分には、もう戻れない。

